はじめに

取引先から預かった契約書や、社内の人事評価のコメントを、ChatGPTに貼ってよいか迷った経験はないでしょうか。便利なのは分かっていても、社外のサービスに文書を送ること自体が社内で認められていない会社は少なくありません。

2026年10月2日、KDDIグループのELYZAが、日本で一から学習した国産モデルを土台にした推論AI「ELYZA-Thinking」を無料で公開しました。本記事では、何が出たのか、社外に出せない文書を扱えるのはどんな条件のときか、会社として何を決めればよいかを整理します。

スマートエイトは生成AI研修と業務のAI化を支援しており、「社外秘の資料をAIに入れてよいか」という相談を研修のたびに受けてきました。結論として、ELYZA-Thinkingは、自社の機械で動かせば文書を外に出さずに済む選択肢です。そのためには、動かす場所・つなぐ先・ライセンス・環境の4つを会社で決める必要があります。

本記事は、2026年10月4日時点でELYZAが公開している発表文とモデルの公開ページをもとにしています。公開されたのはモデル本体のファイルで、ブラウザから会話できる公式のデモ画面は見当たりません。そのため、試す手順やインストール・起動のコマンドは扱わず、会社として判断する材料を中心にまとめます。

ELYZA-Thinkingとは何か|国産モデルを土台にした無料の推論AI

ELYZA-Thinkingは、答える前に考える過程を経る「推論モデル」の一種です。まず何が公開されたかを押さえ、次に「国産」の意味、最後に実力の位置づけを確かめます。

公開されたのは大きさの違う2つのモデル

ELYZAは発表と同じ日に、「ELYZA-Thinking-1.0-llm-jp-4-33b」と「ELYZA-Thinking-1.0-llm-jp-4-32b-a3b」の2つを商用利用できる形で公開しました。名前の「33b」「32b」はモデルの大きさを表しており、どちらも中規模のモデルにあたります。

2つの違いは動き方にあります。33bは毎回モデル全体を使って答えを作る型で、32b-a3bは質問ごとに一部だけを動かして速く答える型です。対応する言語は日本語と英語で、考えた過程と最終的な答えは分けて返ってきます。

発表の主題は、AIにAIの開発を任せる研究を進める新しい研究組織の設立でした。2つのモデルは、その研究成果の1つとして出たものです。ELYZAは同時に、音声で応対するAIエージェントの事業も発表しています。

「国産」は土台の学習から国内で行ったという意味

土台になったのは、国立情報学研究所の大規模言語モデル研究開発センターが作ったLLM-jp-4*です。LLM-jp-4は日本で一から学習されたモデルで、その上に重ねた追加学習はすべてELYZAが行いました。

追加学習では、数学やプログラミングの問題を日本語に訳して考え方を学ばせ、日本語のWikipediaとWikidataから作った知識のデータでも鍛えています。ふりがなや漢数字のような、日本語ならではの指示に従う練習も含まれます。

ELYZAは以前にも同じ名前の推論モデルを出していますが、そちらは海外製のモデルを土台にしていました。今回は土台の事前学習が国内で行われたモデルを使っている点が、名前は同じでも大きく違うところです。

点数は海外の新しい世代のモデルを総合で上回るものではない

33bの公開ページには、日本語のテストの平均点が載っています。ELYZA-Thinkingは62.18点で、土台の改良版にあたるLLM-jp-4.1の推論モデルの61.78点と、アリババのQwen*のうち一世代前のQwen3-32Bの58.97点を上回りました。一方で、新しい世代にあたるアリババのQwen3.5-27BとGoogleのGemma 4 31Bは、66.05点と68.88点でした。アリババはこの後もQwen3.6とQwen3.8を公開しており、これらはELYZAの比較に入っていません。

ELYZA-Thinking 33bの日本語テストの平均点62.18点を、LLM-jp-4.1の推論版61.78点、アリババのQwen3-32B 58.97点、Qwen3.5-27B 66.05点、GoogleのGemma 4 31B 68.88点と比べた横棒グラフ

複数の資料をまたいで日本語の質問に答えるテストでは73.85点で、比べた7つのモデルの中で最も高い点を取りました。日本語の細かい条件付きの指示に従うテストの1つでも最高点です。総合力では新しい世代の海外モデルに届かないものの、日本語の知識を引き出す場面に強みがあると読めます。

*LLM-jp-4:国立情報学研究所が中心となって開発し、無料で公開している日本語の大規模言語モデル。研究機関や企業が土台として使える。 *Qwen:中国のアリババが公開しているAIモデルのシリーズ。無料で使えるものが多く、他社のモデルの土台として広く使われている。

社外に出せない文書を扱える理由|データが外に出ない仕組みと3つの穴

ELYZA-Thinkingで社外秘の文書を扱えるのは、国産だからではなく、自社の機械で動かせるからです。この章では仕組みと、それでも文書が外に出てしまう場面を確かめます。

自社の機械で動かすと、入力した文書は提供元に届かない

ChatGPTやGeminiを画面から使うとき、入力した文章は提供元の会社のサーバーへ送られ、そこで答えが作られます。社外に出せない文書を貼れないのは、この「送る」が起きるからです。

クラウドのAIは文書が社外の提供元サーバーへ送られ、自社で動かすAIは社内のサーバーで処理が完結することを比べ、他社のサーバーで動かす・外部サービスにつなぐ・記録を社外に保存の3つで文書が外に出ることを示した図

ELYZA-Thinkingは、モデルの重み*そのものが配られています。このファイルを自社のサーバーに置いて動かせば、答えを作る計算は社内で完結し、預かった契約書の中身はELYZAにも他の会社にも送られません。

それでも文書が外に出る3つの穴

自社で動かしても、組み方によっては文書が外に出ます。確かめる穴は3つあります。

  • 動かす場所: 他社が用意したサーバーでELYZA-Thinkingを動かしてもらう形にすると、文書はその会社へ送られます。
  • つなぐ先: このモデルは外部の道具を呼び出す機能に対応しています。社外の検索や翻訳のサービスにつなぐと、その時点で文書の一部が外に出ます。
  • 記録の置き場: やり取りの記録を社外のクラウドに保存する設定にすると、記録として文書が残ります。

契約書の要点整理で言えば、モデルを社内のサーバーに置き、外部の道具にはつながず、記録も社内に残す形にしたときに初めて、文書を外に出さない使い方になります。

社内ルールは「どこで動くAIか」で線を引き直す

研修で社内ルールの相談を受けると、多くの会社が「機密は入力禁止」のように情報の種類で線を引いています。しかし実際に使ってよいかを分けているのは、情報の種類より、そのAIがどこで動いて、誰の管理下にあるかです。

自社で動かすモデルを入れるなら、「社外のAIサービス」「会社が契約した法人向けサービス」「社内で動かすモデル」の3つに分け、それぞれに入れてよい文書を決めるとルールが運用しやすくなります。社外に出せない文書は、3つ目の区分にだけ入れてよいと決めれば、現場は迷いません。

*重み:AIモデルの中身にあたる大量の数値のファイル。これを手元に置けば、提供元につながずにモデルを動かせる。

会社で使ってよいか|商用利用とライセンスで確かめる3点

ELYZA-Thinkingは無料で、商用利用もできます。ただし「無料」と「何をしてもよい」は同じではありません。会社として確かめる点は3つです。

Apache 2.0は社内利用も改変も認めている

2つのモデルは、どちらもApache 2.0*という条件で配られています。この条件は、使う・改変する・配る・売る権利を、料金なしで認めています。社内の業務で使うことにも、自社の用途に合わせて追加で学習させることにも、ELYZAへの申し込みは要りません。

守る条件が出てくるのは、モデルを社外に配るときです。改変したモデルを取引先に渡すような場合は、ライセンスの写しを添え、変更したファイルに変更した旨を書き、著作権の表示を残します。ELYZAが配っているファイル一式には帰属の表示をまとめたNOTICEというファイルが含まれているため、その記載も残します。社内で使うだけなら、これらの条件に関わる場面はほとんどありません。

無料なのはモデルだけで、動かす費用はかかる

モデル自体に料金はかかりませんが、動かすための機械と人の費用は自社で持ちます。高性能な計算用の機械を買うか借りる費用と、組み立てて保守する担当者の時間です。

ChatGPTの法人プランは1人あたりの月額で費用が読めますが、自社で動かすモデルは、使う人数が少なくても機械の費用が先にかかります。「無料だから安い」とは限らないため、浮く作業の時間と比べて判断します。比べ方は生成AIの費用対効果を測る4つの問いで整理しています。

答えの正しさはELYZAも保証しない

Apache 2.0は第7条で配る側は品質を保証しないと定め、第8条で損害の責任も負わないとしています。誤った答えで損害が出ても、ELYZAに責任を求める前提にはなっていません。

契約書の要点整理に使うなら、AIの答えをそのまま相手に返さず、担当者が原文と照らす工程を残します。これはクラウドのAIでも同じです。自社で動かす場合はELYZAへの問い合わせを前提にできないぶん、確認の手順を社内で決めておく必要があります。

*Apache 2.0:オープンソースで広く使われている利用条件の1つ。商用利用・改変・再配布を認め、配るときにライセンスの写し・変更した旨・著作権の表示を残すよう求める。

社内で動かすには何が要るか|必要な環境の目安と誰に頼むか

社内で動かすと決めたら、次は機械と人の準備です。この章では、ファイルの大きさから必要な機械の目安をつかみ、動かし方と依頼先を決めます。

ファイルは約64〜66GBあり、GPUのある機械が要る

公開されている2つのモデルのファイルは、33bが約66.4GB、32b-a3bが約64.3GBです。公式の手順は、GPU*を積んだサーバー向けの方法が中心です。本体だけでこの大きさがあるため、一般的な事務用のパソコンで動かすのは現実的ではありません。

32b-a3bはMoE*という作りで、全体は約320億個の数値を持ちながら、1回の計算で使うのはそのうち約38億個です。計算する量が少ないぶん、同じ大きさの33bより速く答えを返しやすい作りです。

公開の翌日には、有志の開発者が容量を小さくした軽量版を出しています。例えば32b-a3bのある軽量版は約15〜34GBで、対応していない環境では、配布元が同梱する修正(パッチ)を当ててソフトを組み立て直す技術者の作業が要ります。ELYZAが出したものではないため、性能も公式の点数と同じとは限りません。

動かし方は3つから選ぶ

置き場所は、文書を外に出さない度合いと、初期費用の重さで選びます。

動かし方

文書の行き先

初期費用

向いている場面

社内にGPUサーバーを置く

社外に出ない

機械の購入費が大きい

社外秘の文書を日常的に扱う

自社契約のクラウドで動かす

契約したクラウドの中にとどまる

月額の利用料

まず数か月試したい

軽量版を手元の機械で試す

社外に出ない

手持ちの機械と技術者の作業

本格導入の前に性能を確かめたい

クラウドで動かす場合、文書はクラウド事業者の設備に置かれますが、他のAIサービスに送るのとは違い、自社が契約して管理する範囲の中にとどまります。社内ルールで、自社契約のクラウドを社内と同じ扱いにしているかを先に確かめます。

頼む相手と、頼むときに伝える4項目

社内に情報システムの担当者やエンジニアがいれば、その人に相談するのが最短です。いなければ、AIの開発や導入を請け負う会社に頼むことになります。

頼むときは、次の4つを先に伝えると見積もりが早く正確になります。

  • 扱う文書: 契約書の要点整理、問い合わせの下書きなど、何に使うか
  • 使う人数: 同時に何人が使うか
  • 置き場所: 社内サーバーか、自社契約のクラウドか
  • つなぐ先: 社内の文書の保管場所や、外部のサービスとつなぐか

依頼の費用がどう決まるかは、AI開発・AI導入の費用の内訳と相見積もりの比べ方で解説しています。

*GPU:大量の計算を同時に処理する部品。AIを動かすには、モデル全体を載せられる容量のメモリが要る(複数枚に分けて載せることもできる)。 *MoE:質問ごとにモデルの一部だけを選んで動かす作り。全体は大きくても、1回の計算量が少なく速く動きやすい。

よくある質問|ELYZA-Thinkingを検討するときに出る疑問

ELYZA-ThinkingはChatGPTの代わりになりますか?

全面的な代わりにはなりません。公開された比較にChatGPTは入っていませんが、日本語のテストの平均点で、同じくらいの大きさの新しい世代のオープンモデル(アリババのQwen3.5-27B・GoogleのGemma 4 31B)にも届いていないためです。社外に出せない文書を扱う用途に絞り、それ以外の仕事は今のサービスを使い続ける、という分け方が現実的です。

以前のELYZA-Thinkingとは何が違いますか?

2025年5月に公開された「ELYZA-Thinking-1.0-Qwen-32B」は、アリババのQwenを土台にしていました。今回の2つは、国内で事前学習されたLLM-jp-4が土台です。モデルの出どころを社内や取引先に説明しやすいかどうかが、選び分けの理由になります。

英語の文書も扱えますか?

扱えます。対応する言語は日本語と英語で、英語のテストの点数も公開されています。英語と日本語を相互に訳すテストの点数も出ており、比べたモデルの中では中ほどの点数です。英語の文書を日本語でまとめる使い方も、試す価値はあります。実際の業務に任せる前に、自社の文書で数件試して確かめてください。

さいごに

ELYZA-Thinkingは、国内で一から学習したモデルを土台にした無料の推論AIで、自社の機械で動かせば社外に出せない文書を外に送らずに扱えます。ただし、外に出さないためには動かす場所とつなぐ先と記録の置き場を決め、ライセンスと費用、機械と依頼先まで会社として判断する必要があります。

「社外秘の資料はAIに入れられない」と止まっている会社にとっては、その前提を変える選択肢の1つです。まずは扱いたい文書を1種類決め、社内ルールの区分に「社内で動かすモデル」を加えるところから始めてください。

どの文書をAIに任せ、どの区分で扱うかを社内で決める進め方は、スマートエイトの生成AI研修でも扱っています。

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